2011年12月23日

アドリエンヌ・リッチ


私はアンの名誉と記念のために、私たちがみずからを破壊する方法のいくつかを列挙したいと思います。

 自分をつまらぬものだとみなすこと、これが一つです。
女は大きな創造活動をする能力がないという嘘を信じること。自分自身や自分の仕事を真剣にうけとめないで、いつも自分の欲求よりも他者の欲求のほうが必要性がたかいと思ってしまうこと。男をまねしているだけの知的あるいは芸術的作品をつくりだして満足すること。
そうやって、自分をもお互いをも欺き、自分の十全の可能性に肉薄せず、その作品に、私たちが子供や恋人になら注ぐだろうような注意も努力もはらわないこと。

 もう一つは、水平方向に向けた敵意――女への軽蔑、つまりほかの女たちは私たち自身であるがゆえに、ほかの女たちをおそれ、不信を抱くこと。
「女はけっしてほんとうになにごとかをする気はない」とか、女の自己決定と生存(サヴァイバル)は男のおこなう「真の」革命の二の次であるとか、私たちの「最悪の敵は女である」とか、信じこむこと。

 もう一つの種類の破壊性は、相手を間違えた同情です。


 四番目は惑溺です。
「愛」への惑溺――どことなく贖罪的な、女の生き方として、無私で犠牲的な愛の観念におぼれること。麻薬のトリップ、自分をごまかし、あるいはいけにえにする方法としての性への惑溺。抑鬱への惑溺は女である存在から抜け出すのに一番受け入れやすい方法です――
鬱病者なら自分の行動に責任があるとはみなされず、医者は薬を処方してくれるでしょうし、アルコールはその空白をおおう毛布を提供するからです。男の与える是認への惑溺。性的にであれ、知的にであれ、それでいいと請けあってくれる男が見つかるかぎり、私たちはたとえどんな代価を払っていても、自分はこれでいいにちがいない、自分の存在はお墨付きなのだと、思いがちなのです。

 この四重の毒をきれいに洗い流すことができれば、私たちの精神とからだは、もっと安定した均衡をえて生き延び、構築しなおすための行動に向かえるでしょう。

『書く女一人一人が生き残る者である』からです。


アドリエンヌ・リッチ『嘘、秘密、沈黙。』
posted by 齋藤明 at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。